「昭和史の語り部」のお二人は、ともに編集者だったのですよね?
半藤 編集者のいいところは、人に会って話を聞くことが億劫でないことと言えるかもしれません。名刺一枚で様々な人に会えるという強みもあります。特に私の時代の編集者は作家や取材対象者に「会いに行く」というのが一番の務めでした。メールやファックスがない時代です。戦後すぐは地方だと電話だってつなぐのに、ものすごく時間がかかっていました。
保阪 会って話を聞くということは非常に大事ですね。取材相手との関係性は夫婦関係と同じといいますか、信頼関係、あうんの呼吸が求められると思います。
半藤 その昔、昭和史論争(*7)というのがありました。評論家の亀井勝一郎(*8)さんに、ベストセラーになっていた岩波新書『昭和史』(遠山茂樹他著)の感想を聞かれました。私が「鳥のガラみたいな『昭和史』ですね。歴史というのはもっと肉付きがあるものではないでしょうか」と答えると、「確かに、あの本には昭和を生きた人間がいません。人間のいない歴史なんてのはないんです」と仰いました。それじゃ、そのことを論じてくれませんか、ということになるわけです。
保阪 取材中に相手がどんな顔をして話をするかで真偽を見抜くことだってできるようになるのです。私はこれまで昭和史を調べるなかで、のべ4000人の方に話を伺い、昭和史の本を徹底的に読みました。それで気づいたことがあります。1割の人は本当のことをいう、1割の人は最初から嘘をいう、8割の人は記憶を美化し、操作する。この8割というのは実は我々なんです。悪人じゃないけど嘘をついている。それでも、記憶を持っている人たちが生きているときにできる記録は、バランスがとれている。記憶は記録を補完し、記録は記憶を正すんです。危惧しているのはこれから。記憶を持った人が少なくなっていく時期は、記録が改ざんされかねないのです。
戦争の真実を伝えなければという原動力はどこにありますか。
保阪 太平洋戦争で何百万人もの兵士が亡くなっています。彼らは戦争に志願して行ったわけではありません。私たちがもしその時代に生まれていたら、同じような選択をしたでしょう。自分がもしその立場にいたら、という想像力を持つことは実はとても大事です。そういうことを私は昭和史を徹底的に調べるなかで感じました。戦争で死んでいかなければならなかった人々の思い、そしてそこに付随する事実を伝えなければいけないのです。
半藤 私も、戦争というものが、昭和史というものがどういうものであったか、ということを一生懸命掘り起こしてきました。日本が戦後これまで、平和で穏やかな国を保ってきたことは事実です。まだまだ記録を掘り起こす活動は不足していますが、一生懸命やってきたことが少しは貢献できているのではないかと思っています。そして平和が続いたということで、非戦への思いが鮮明となり、軍備拡張に歯止めがかかったことは明らかです。しかしマイナス面として、世界から「日本人は戦争に対してきちんと反省がなされていない」という疑いやイメージを持たれたことは残念です。
保阪 「昭和史」というのは人類がそれまでに体験したことがほとんど入っていますから、歴史を振り返ることは大事です。その時、日本人はどう生きたか、何を考えていたのかを正確に理解してもらうために、我々はできる限り生のデータを出す作業をしてきました。戦争体験者の声を聞き伝えること。そうやって謙虚な気持ちで歴史と向き合えば、例えば昨今話題の憲法改正や集団的自衛権の行使など、軽々しい気持ちでは論議できないはずです。
半藤 つまりそこは歴史に学んでほしい。日本の近代史、大正から昭和にかけての現代史だけでもいいのです。教訓は山ほどあります。
保阪 歴史と真面目に向き合うという、実に単純なことです。敬虔(けいけん)なものの見方は生き方であると考えます。学校教育やメディアを含めて、歴史を大きな問題と捉える傾向にあります。ですが歴史というのは本来、もっと身近なものです。自分の両親はどうやって生きたのだろう、祖父母はどうやって生きたのだろう、と興味を持つことであって、今自分が生きていることは次に子供や孫がどう生きていくかということにつながる、そのつながりを考えることなのです。昨今は社会の仕組みのなかに、歴史から遠ざけようという空気があると感じる時があります。
なるほど。確かにそうですね。
半藤 歴史に学ぶという点から見て、オウム真理教の事件(*9)が起きた時に、これは昔の日本の軍隊と似ていると感じたことがありました。オウム真理教は修行の成績によって地位や階級が変わってくる。上官の命令は絶対であるという特異な精神構造を持っている。全体のためには個を犠牲にしろという。教祖のために自分のものは捨てろという面も強く出ていました。時代の閉塞感がもたらした事件と言う人がいましたが、今の時代も少しそのような傾向が強まっているのではないでしょうか。将来が不安だ、閉塞感がある、という若者がみられます。といいながら、一方で、今の若い世代は仲間や小さなコミュニティを大事にしていて、奉仕の精神もあるし、質実剛健なところもあってしっかりしている。日本の明日に希望が持てるのではないかという思いもあるのです。
保阪 戦争をまったく知らない世代に、私たちがどう話を聞かせるかという努力が必要だということも言えるでしょうね。伝承の仕方、語るほうに責任があるという謙虚な気持ちになれば、若い世代もしっかりついてきてくれる、という思いは自分のなかにあるのです。
半藤 いずれにしても、ますます戦後の昭和という時代を見直すことの意味があるのではないかと考えます。
太平洋戦争、そして戦後昭和史を知る世代が、謙虚に真面目に子供やその親たちに自分の戦争の記憶を語り継いでいくことが重要なんですね。貴重なお話をどうもありがとうございました!
昭和という時代を見直すことの意味がある(半藤先生)
歴史というものは、もっと身近なものです(保阪先生)
あの時、何が起きていたのか…。
終戦から80年余、戦争経験者も少なくなった今、戦争の事実を語り継ぐことは私たちの役目といえます。
実録映像集『太平洋戦争』は未曽有の大戦争について、その発端から終結までを克明に記録したDVD全集です。
貴重な映像と詳細な資料をもとに、公正な視線での検証を加え、戦争の全貌を明らかにしていきます。
【注釈】
(*1)坂口安吾=昭和初期から中期にかけて活躍した小説家・評論家・随筆家。終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』などで時代の寵児となった。昭和30年死去。
(*2)伊藤正徳=ジャーナリスト・軍事評論家。海軍内部に精通し「大海軍記者」と称された。戦後は第二次世界大戦の戦記を手がけ、『連合艦隊の最後』などを発表。昭和37年死去。
(*3)『日本のいちばん長い日』=日本が降伏を決定した8月14日正午から、昭和天皇による玉音放送が行われる翌日正午までの24時間を、綿密な取材と証言をもとに再現。1967年には映画化され、この年の12月29日に昭和天皇本人が家族とともに鑑賞していたことが2014年に公表された『昭和天皇実録』で明らかにされた。2015年8月に役所広司主演で再び映画化された。
(*4)学制改革=第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)占領下に、1946年3月の調査結果によるアメリカ教育使節団報告書に基づいた大規模な教育課程の改編。6・3・3・4制の学校体系の変更、義務教育の9年への延長などが主な内容。
(*5)三島由紀夫事件=1970年11月25日、ノーベル賞候補にもなっていた作家の三島由紀夫が、東京都新宿区の自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省庁舎)を訪問、陸上自衛隊の益田兼利東部方面総監を拘束して、憲法改正のための自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺した事件。三島は当時45歳。
(*6)死なう団事件=法華経系新宗教「日蓮会」の青年部「日蓮会殉教衆青年党(死なう団)をめぐる一連の事件。1933年、黒衣に白袴姿で、集団となり「死なう」と叫びながら行進して逮捕されたことに端を発する。1937年に党員が次々と割腹したことなどで社会に大きな衝撃が走った。
(*7)昭和史論争=1955年に刊行された岩波新書『昭和史』(遠山茂樹、今井清一、藤原彰共著)の内容をめぐり、亀井勝一郎(後述)が「動揺した国民層のすがたは見あたらない」などと批判したことが発端。歴史学者の井上清、江口朴郎らが反論し、『ビルマの竪琴』などで知られる竹山道雄ら、評論家や作家が亀井に同調して論戦となった。戦後の歴史教科書論争の出発点ともされている。
(*8)亀井勝一郎=昭和期に活躍した文芸評論家。1945年8月に第二国民兵として3日間軍事教練を受け、その3日目に敗戦の報を聞いた。『日本人の精神史研究』など著書多数。
(*9)オウム真理教の事件=麻原彰晃(あさはらしょうこう・松本智津夫)を教祖とする教団「オウム真理教」が、1980年代末から1990年代半ばにかけて起こした一連の事件。1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、1994年6月の松本サリン事件、1995年3月の地下鉄サリン事件など、社会に強い
衝撃を与えた。