三浦佑之先生に聞く「古事記」の魅力とは?

現存する日本最古の歴史書である「古事記」。
人間世界の起源を神話の中に語るこの古の物語がなぜ今、
あらためて注目されているのでしょうか。
古代文学・伝承文学研究の第一人者である三浦佑之先生に
「古事記」とその魅力についておうかがいしました。

三浦佑之先生のプロフィール 1946年、三重県生まれ。成城大学文芸学部卒業後、同大学院博士課程修了。古代文学、伝承文学研究専攻。2002年に『口語訳 古事記』(文藝春秋)を出版し、ベストセラーに。翌年、角川財団学芸賞を受賞。千葉大学名誉教授。

三浦佑之 プロフィール

「古事記」というと昔の言葉で書かれた難しい書物という印象がありますが、そもそもいつの時代、誰が何のために作ったのでしょうか?

「古事記」は上・中・下の3巻で構成されています。上巻の最初に上表文(君主に奉る別添の書)の形で書かれた「序」によれば、奈良時代の和銅5年(西暦712年)、太安万侶(おおのやすまろ)という文官(現代の大臣級の人物)により完成したとされています。作った経緯に関しては、7世紀後半に壬申の乱で天皇になった天武天皇が「国家統一のためには歴史は一つでなければならない」と考え、稗田阿礼(ひえだのあれ)という記憶力のいい側近に自分が正しいと思う歴史を語って聞かせた。それを本にしようと思っていたのだけど、できないまま天皇は亡くなる。それから30年ほどたって稗田阿礼も60歳近い年齢になったため、元明天皇という女性天皇が、稗田阿礼が亡くなる前にその歴史を書き残さねばならないということで、書物にするように太安万侶に命じたと。

三浦佑之先生

歴史書としては「日本書紀」もありますね。「古事記」と「日本書紀」の違いは?

「古事記」は上巻が神話、中・下巻が天皇たちの話で構成されていて、全体が物語として語られています。それに対して「日本書紀」は養老4年(720年)に完成した歴史書で、全30巻。1・2巻に「古事記」の上巻とほぼ対応する神話がありますが、3巻目以降は天皇たちの歴史が延々と綴られています。何年何月に何があったと箇条書きのように書かれているので、物語性は少なく、硬い。また、「古事記」が和語(語り言葉)を生かした音仮名(万葉仮名)を含む漢文で書かれているのに対し、「日本書紀」は中国の歴史書に倣った純粋な漢文です。
国を治めるために必要なのは法律と歴史です。「この国は素晴らしい」という心を生み出すための歴史書として作られたのが「日本書紀」ですから、登場する者たちは皆、天皇に忠実です。それがよく表れているのはヤマトタケルノミコトというヒーローの物語。「日本書紀」では天皇のために地方の賊をバタバタとやっつけるが、最後は力尽きて死んでしまうという美談で、天皇と皇太子の理想的な親子関係が描かれています。ところが「古事記」では、父親が凶暴な息子を追い出すというところから始まって、最後まで全然理想的じゃない。修復できない親子関係が主題になっています。二つの書物では、登場人物の性格もかなり異なる部分が多いのです。

稲羽の素兎

オホナムヂが兎を助け妻を得る物語「稲羽の素兎」

読み物としての面白さが「古事記」にはあるということですね。

ええ。「古事記」神話の3〜4割を占めているのが出雲神話ですが、「日本書紀」の中にはそれがほとんど出てこない。出雲神話とは何かというと、日本を統一したオホクニヌシノカミ(※1)の一族が、天皇家の祖先神であるアマテラスオホミカミの一軍に国を奪い取られてしまう物語です。敗れていった者たち、死んだ者たちに共感を込めて語られている。712年と720年、ほぼ同時に成立したとされる二つの歴史書が全く違う視点で描かれているという問題についてはこれまで様々に議論されていて、諸説ありますが、僕は「古事記」の序文は後から付け足されたものだろうと考えています。解明されていない謎が多いのも、古代文学の面白いところでもある。そして「古事記」のほうが読み物として圧倒的に支持を受けているというのは、やっぱり内容の面白さでしょうね。

小滝川ヒスイ峡

新潟県の小滝川ヒスイ峡は神話ゆかりの土地の一つ

「古事記」にはいくつもの話が登場しますね。

上巻はイザナキノミコトとイザナミノミコトという男女が大地と神を生んで世界を形作ると、高天(たかま)の原(はら)という天空世界に神々が繁栄し、地上には出雲の神々が繁栄する。やがて高天の原から降りてきたアマテラスの孫が地上をも支配することになり、それが初代の天皇に結びついていく……という長編の話になっています。しかし中巻と下巻は、天皇たちの物語が短編小説集のようにたくさんつながっているから、一部分だけを読んでも楽しめます。そして3巻全体が一つの長編物語として成り立っている。

現代にも通じる、物語の基本的なつくりのようですね。

その原型が古事記にあるといってもいいでしょう。一人の少年の成長物語とか、お姫様を手に入れる物語などは、今でもテレビドラマや映画の主題になっています。それは神話の頃からずっとあるパターンなんですよね。「古事記」には物語の基本的なエキスがいろんな形で入っているから、今でも楽しめるのだと思います。

イザナキとイザナミ

イザナキとイザナミが世界を作っていく「国生み神話」

三浦先生が好きなお話は?

出雲神話も、ヤマトタケルの話も好きなんですけど、僕が一番面白いと思うのは敗れた者たちに対する思いなんですよ。「古事記」には、書物が成立するずっと前から「語り」によって伝えられてきた古い物語が詰まっています。「語り」というのは死者を慰めていく鎮魂の要素が非常に強い。平家物語などもそうですね。そういう意味では、今回のDVDには収録していませんが「古事記」の最後にあるマヨワという男の子の話が好きです。これは、天皇を殺した男が妃と息子を自分の物にし、あるときその息子に自分が父を殺したという事実を知られ仇討ちされるという物語です。シェイクスピアの名作『ハムレット』と非常に似ている。息子は葛城(かづらぎ)ツブラノオホミという人物の屋敷で匿ってもらうんですが、最後は追っ手に囲まれ大臣と共に自害するんです。この話は「日本書紀」では、屋敷に火を放たれ皆死んだと語られているだけです。外から見た話を書けば当然、そうなりますよね。ところが「古事記」では、誰も見ていないはずの屋敷の内側の様子を描いている。そういう「語り」の面白さが好きですね。

三浦佑之先生

それは現実にあった話でもあるのですか?

もちろん完全な作り話ではなくて、事実をもとにして物語が作られています。実際に葛城氏の屋敷跡が発掘調査されたのですが、そこは焼けていて、炭化した柱が残っていた。時代的にも一致していて、焼き滅ぼされたのは間違いないだろうと。そういう史実としての面白さと、文学的な面白さとが「古事記」にはあるんです。

外国の神話や伝説と似通った話も多く見られますが、関係性はあるのでしょうか?

八俣大蛇は「古事記」の中でも最も知られる物語の一つ

八俣大蛇は「古事記」の中でも最も知られる物語の一つ

ユーラシア大陸では八俣大蛇と似通った物語が語り継がれている

ユーラシア大陸では八俣大蛇と似通った物語が語り継がれている

その日本神話の世界を、実際に訪れて感じられるおすすめの場所はどこですか?

僕の一番のおすすめは、島根県松江市にある加賀(かが)の潜戸(くけど)です。海蝕洞穴なんですが、観光船で中を通り抜けることができます。「古事記」には洞穴自体は出てきませんが、オホナムヂノカミ(※2)を助ける赤貝の女神が祀られています。ここは本当に、神話の世界そのまま。出雲には有名な観光地がたくさんありますが、特に神秘的な雰囲気を感じることができる場所だと思います。新潟県糸魚川市のヒスイ峡も、ヌナカハヒメ(※3)という女神のゆかりの地として登場しますが、ここも不思議な感じを受けますね。この女神とヤチホコノカミ(※4)の求婚の場面は長編の歌で語られていて、内容がすごく新鮮で面白いんですよ。近代文学を勉強しようと思っていた僕が、古代文学に興味を持つことになったキッカケの歌でもあります。
それから、出雲や九州の高千穂、中国山地辺りの神楽を見て回るのも楽しいですよ。島根県の石見神楽の大蛇退治なんかはものすごく派手で、爆竹を鳴らしたり火を噴いたりしながら大蛇とスサノヲが戦う。夜神楽はだいたい徹夜で演じますが、観たい演目だけ観てもいいし、旅行会社が企画するツアーを利用してもいいと思います。

加賀の潜戸

神秘的な雰囲気の加賀の潜戸

高千穂峡

宮崎県高千穂峡。伝説が残る滝へボートで近づける

読者の方が「古事記」をより楽しむためには、どうすればよいでしょうか?

「古事記」は天皇の歴史が書いてあるという意味で、他の古典とは違うと思います。戦前は神話は国の歴史として教えていた。でも今大切なのは、政治的に読むのではなく、一つの物語として楽しむことです。「古事記」は神々すら笑いの対象にすることもある。太陽神であるアマテラスだって、自分は鏡として伊勢神宮に祀られていながら、鏡というものを知らなかった。天の岩戸で初めて目にして驚くんです。そういう物語を、純粋に楽しむのがいいんじゃないかと思います。

今も子ども向けの絵本として読まれている物語も多いですね。

そうですね。稲羽の素兎とか、海幸彦と山幸彦とか、「古事記」の中には子どもにもわかりやすい物語があります。実は2011年度から、そういった神話が小学校1・2年生の国語の教科書に戻ったんです。僕自身は教える側への教育がまず必要だろうと思っていますが、「物語体験」というのは子どもたちにとって大切なことですね。日常的な世界とは違う、もう一つの世界。そこにはある程度の教訓も入るかもしれないけど、別の世界を体験できる。その材料として「古事記」は面白いと思いますね。そして物語というのは、肉親が生の声で子どもに語って聞かせるというのがすごくいいと思います。上手じゃなくてもいいんです。本や映像で覚えた話を語って聞かせてもいい。そんなふうにして、「古事記」の物語の面白さを純粋に楽しむことが大切だと思います。

いろんな形でご家族で楽しんで頂きたいですね! 貴重なお話をありがとうございました。

出雲神楽

臨場感あふれる出雲神楽

天の岩戸から鏡を覗くアマテラス

天の岩戸から鏡を覗くアマテラス

【注釈】
※1 オオクニヌシノカミ=スサノヲの6代目の子孫。5つの名を持ち、物語によって語られる名が変わる。
※2 オホナムヂノカミ=※1と同一人物。
※3 ヌナカハヒメ=高志国(こしのくに)の女神。ヤチホコが求婚の歌を詠み、翌日の夜に妻となったという神話がある。
※4 ヤチホコノカミ=※1と同一人物。

古代紀行ドキュメンタリー『古事記の世界』
〜CGアニメでひも解く日本創世物語〜
古事記の世界

今からおよそ1300年前に編纂された、日本最古の歴史書「古事記」。そこには私たちの国・日本の誕生物語が神話として描かれています。一見すると難解な「古事記」の内容をアニメーションで紹介し、先生方の詳細な解説によって神話の裏側を読み解くことで、わかりやすい! と大きな反響を得たTV番組『古事記の世界』がDVDセットになりました。天の岩屋、ヤマタノヲロチ、稲羽の素兎など、一度は耳にしたことのある神話同士がつながり、広がっていくことで、日本人の精神性、当時の日本の様子などが浮かび上がってきます。

大人が知るべき知識として、教養として、日本に生まれたからには一度は触れておきたい「古事記」の世界。本映像集で、奥の奥までじっくりとお楽しみいただけます。

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